相続放棄

相続放棄とは

相続が開始した場合(被相続人が亡くなった場合)、相続人は被相続人の権利や義務を一切受け継がないという選択をすることができます。

これを相続放棄といいます。

相続放棄をする場合には,家庭裁判所への申述という手続をとらなければなりません(民法938条)。

 

相続放棄を検討すべき例

以下のようなケースの場合には,相続放棄を選択肢の一つとして検討した方がよいと言えます。

・ 親が亡くなったが,借金が多く,相続したくない。

・ 亡くなった親は,生前たくさんの人と交流があり,いろいろな人や会社の保証人になっていたが,保証債務を相続したくない。

・ 亡くなった兄弟には子供がおらず,親もすでに亡くなっている。兄弟は会社を経営しているが,経営状態もよくわからず,会社の債務を保証しているようなので,保証債務を相続したくない。

・ 疎遠な親戚が亡くなり,法定相続人となっているが,ずっと疎遠であったので状況が全く分からず,あまり関わりたくない。

 

相続放棄という選択肢

 上記のような場合には,相続放棄という方法が有効です。

相続の放棄をした人は,その相続に関しては,最初から相続人とならなかったものとみなされます(民法939条)。

相続放棄の手続は,家庭裁判所に申述という手続をしなければなりません。

もっとも,相続放棄したくても,被相続人(亡くなった方)の財産を処分するなどしていた場合には,相続を承認したものとみなされてしまいますので,注意が必要です(民法921条)。

一方で,相続放棄をしたとしても,放棄によって相続人となった人が相続財産の管理を始めることができるまで,一定の注意をもって管理をしなければなりません(民法940条)。

被相続人の財産についてどうしてよいか迷ったら,すぐに弁護士にご相談ください。

相続放棄の費用

相続放棄の手続は,自分で家庭裁判所に赴いて,自分で手続きをすることもできます。

しかしながら,

・ 不安なので専門家である弁護士に任せたい。

・ 手続が面倒くさい。

という方は,当事務所にご相談ください。

弁護士費用は以下のとおりとなります。

 

相続放棄: 1件5万円(税別)

(戸籍取寄費用等の実費を含みますので,上記以上の費用は発生しません。)

相続放棄の条文

民法938条

相続の放棄をしようとする者は、その旨を家庭裁判所に申述しなければならない。

 

民法939条

相続の放棄をした者は、その相続に関しては、初めから相続人とならなかったものとみなす。

 

民法940条

相続の放棄をした者は、その放棄によって相続人となった者が相続財産の管理を始めることができるまで、自己の財産におけるのと同一の注意をもって、その財産の管理を継続しなければならない。

第2項

第645条、第646条、第650条第1項及び第2項並びに第918条第2項及び第3項の規定は、前項の場合について準用する。

 

相続放棄の判例・裁判例

熟慮期間の起算点

「相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から3箇月以内に、相続について相、単純もしくは限定の承認または放棄をしなければならない。」(民法915条1項)と定められています。この3か月は熟慮期間と言われていますが、この熟慮期間の起算点はいつになるのでしょうか。

判例では、

「民法915条1項本文が相続人に対し単純承認もしくは限定承認または放棄をするについて3か月の期間を許与しているのは、相続人が、相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った場合には、通常、右各事実を知った時から3か月以内に、調査すること等によって、相続すべき積極及び消極の財産の有無、その状況などを認識し又は認識することができ、したがって単純承認もしくは限定承認または放棄のいずれかを選択すべき前提条件が具備されるとの考えに基づいているのであるから、熟慮期間は、原則として、相続人が前記の各事実を知った時から起算すべきものであるが、相続人がな右各事実を知った場合であっても、右各事実を知った時から3か月以内に限定承認または相続放棄をしなかったのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって、相続人において右のように信ずるについて相当な理由があると認められるときには、相続人が前期の各事実を知った時から熟慮期間を起算すべきであるということは相当でないものというべきであり、熟慮期間は相続人が相続財産の全部または一部の存在を認識した時または通常これを認識しうべき時から起算すべきものと解するのが相当である。」と判断されています(最高裁昭和59年4月27日判決)。